大分駅
大分県の県庁所在地、大分市の玄関であり、日豊本線、久大本線、豊肥本線が発着する高架駅。
駅前に大友宗麟像
大分駅府内中央口広場に設置されています。戦国時代、中九州六カ国武将として武将として、また、キリシタン大名として知られる大友宗麟(1530-1587)は、フランシスコ・ザビエルを招いてキリスト教を帰依し、少年使節団を派遣しました。また、西洋の文物を積極的に取り入れた街づくりを行い、当時の大分は、日本における西洋文化の発信地としてめざましい発展を遂げました。
府内城
大分市荷揚町に所在する「府内城」(荷揚城)は、府内藩主の居館及び武家屋敷により構成された、近世城郭の特徴を色濃く残す城です。大分川と住吉川に挟まれ、かつて海辺に面していました。府内城は、大友氏が国を去った後、豊後を治めていた早川氏に続き、府内に入った福原直高により築城が行われ、その後竹中重利により、現在の府内城の形ができました。府内城下町も同じ時期に形成され、今の大分市街地のおおよその形はこの頃に造られました。
大手門
府内城の玄関口であるため大手門と呼ばれていますが、正確には「多聞櫓門」(たもんやぐら)と言う名称です。1945年(昭和20年)の空襲により焼失し、現在の建物は1966年(昭和41年)に復原建築されたものです。
宗門櫓<県指定文化財>
現存する江戸時代の建物。現在の建物は1859年(安政6年)に再建されたものですが、当初の建物の規模・工法を引き継いでの修理であったと考えられています。城の外から見ると平櫓に見えますが、城内からは二重に見える建物で、平地に石垣を積んで築城する際、櫓の部分に櫓台を設けていないため、このような地階を付けています。
天守台
1602年(慶長7年)に、四層櫓の天守が築かれましたが、1743年(寛保3年)の大火により焼失しました。以降再建されることなく、現在に至っています。
天守台からの景色
人質櫓<県指定文化財>
宗門櫓とともに府内城に残る、もう一つの江戸時代の櫓。人質場と呼ばれた曲輪に位置し、1861年(文久元年)に再建されたものです。
廊下橋前の冠木門
廊下橋
江戸時代の軍学者が、理想の橋の形としたもので、軍学書には、「内、必ず引橋」とあり、床を外して敵の侵入を防ぐことができました。
二階櫓
帯曲輪(おびぐるわ)<市指定史跡>
江戸時代に大分川の河口に造られた人工の土手。水城を象徴する施設で、土手の上には塀が建てられていました。
西ノ丸角櫓の両側の白壁<県指定文化財>
江戸時代末期、南西角櫓の両側の塀は板塀でした。その場所で、石垣に平らな石が並び、塀が建てやすくなっています。
