大和路線・奈良駅から東大寺・春日大社へ向かう

東大寺
奈良の大仏さまで知られる奈良時代創建の代表的な寺院で、都である平城京に全国の国分寺の中心として建立されました。大仏殿は世界最大級の木造建造物です。743年(天平勝宝4年)に大仏さまは開眼されました。以降次々と堂塔が建造され、40年近くかけて伽藍が整いました。都が移った後も大仏さまの寺として朝野の篤い信仰を集めました。しかし、1180年(治承4年)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を失いました。重源上人によって再興されましたが、1567年(永禄10年)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは公慶上人らによって江戸時代に再興されたものですが、法華堂や南大門をはじめ、各時代を代表する国宝建造物を含む多くの文化財を伝えています。1998年「古都奈良の文化財」として、世界遺産に登録された。
南大門(国宝)
鎌倉時代に再建されたもので、高さは約25メートルもあり、日本最大級の山門になります。どっしりとした構えである一方で、門の中から上を見上げると天井がなく柱と貫だけというシンプルな造りであることがわかります。この建築が地震にも強いことから現在まで立派な姿を残しているのです。
東大寺南大門金剛力士像
重源の東大寺復興の一環として再建された、南大門の仁王。阿形(南大門の向かって左で口を開けている)・吽形(口を閉じている)があり、運慶・快慶・定覚・湛慶の慶派一門により、1203年に69日間で制作された寄木造(部材数約3000)の傑作。 阿(左)吽(右)
東大寺大仏殿(東大寺金堂・国宝)
東西:57.012メートル 南北:50.480メートル 高さ:48.742メートル
大仏さま造立には行基の大きな活躍が・・・
行基は668年、和泉国大鳥郡(現在の大阪府堺市)で生まれ、15歳で出家したのち、仏道修行を経て、民間布教や社会事業に尽力します。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺の大仏造立に奔走し、ついには日本最初の大僧正の位を授けられました。
虚空輪観音(左・こくうぞうぼさつ)・如意輪観音(右・にょいりんかんのん)
正倉院正倉(国宝)
東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な正倉(高床倉庫)。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平文化を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に世界遺産に登録された。
大仏池
東大寺大仏殿のすぐそばにある大きな池で、池越しに大仏殿の屋根が見える。紅葉シーズンが訪れると池周辺の紅葉やイチョウが秋らしい光景を見せてくれる。紅葉の見頃は例年11月上旬~12月上旬。
春日大社
春日山原始林を背景に奈良公園内にある神社。全国に約1,000社ある春日神社の総本社である。世界遺産に「古都奈良の文化財」の一つとして登録されている。奈良時代の768年(神護景雲2年)に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀る。主祭神の建御雷神(たけみかづち)が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。
南門(重要文化財)
春日大社の南回廊にあり、表参道を歩いて回廊内に入るときに潜る門で、高さは12メートルあり春日大社最大の楼門です。平安時代中期頃藤原氏の長者や摂関による春日詣がはじまり、その際の参向門とされました。回廊が作られた頃には現在のような2階建ての立派な楼門となり、春日大社の正門としての性格を持つようになりました。
砂ずりの藤
摂関近衛家からの献木と伝えられ、「春日権現験記」にも書かれている古い藤であり、樹齢700年以上と言われています。
若宮(わかみや)
御祭神:天押雲根命(あまのおしくもねのみこと)様
御神徳:正しい知恵をお授けくださる神様
金龍神社
御祭神:金龍大神(きんりゅうおおかみ)様
御神徳:開運財運をお守りくださる神様
タニタカフェコラボ店「エゾラベーカリー×タニタカフェ」奈良三条大路店でスープセットを食べる
薬師寺
天武天皇が680年(天武天皇9年)に皇后鵜野讃良皇女(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御され、持統天皇が即位し新都藤原京に薬師寺が造営されました。697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、翌年僧侶を住まわせたことが「続日本紀」に記されています。710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在地へと遷りました。当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂、東西両塔、大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、その壮麗な姿は「竜宮造り」と呼ばれていました。しかし、歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われました。特に、1528年(亨禄元年)の兵火は激しく、金堂、西塔、大講堂などが焼失しました。その中で唯一創建時から現存するのが東塔(国宝)です。
東塔(国宝)
薬師寺創建当初から唯一現存し、平城京最古の建造物です。東塔には屋根が6つありますが、内部は三層になっており三重塔です。下から1.3.5番目の小さな屋根は裳階と呼ばれる飾り屋根で、各層に裳階がつけられた塔は薬師寺だけです。屋根の大小が織りなすバランスはとても美しく、「凍れる音楽」と称されます。
西塔
日本で初めて東西に二つの塔を建立した双塔式伽藍として有名です。西塔は1528年亨禄の兵火により焼失してしまいます。1981年(昭和56年)に再建された西塔は、長年の風雨にさらされ落ち着いた東塔に対して、創建当初と同じく鮮やかな青丹の色と金色の飾り金具に彩られて美しいコントラストを見せてくれています。
東院堂(国宝)
717年~724年(養老年間)に長屋王の正妃である吉備内親王が母の元明天皇の冥福を祈り建立しました。現在の建物は1285年(弘安8年)に正面7間、側面4間の入母屋造本瓦葺で、南向きで再建されましたが、1733年(亨保18年)に西向きに変えられました。鎌倉時代後期の和様仏堂の好例です。
玄奘三蔵院伽藍
玄奘三蔵(602-664)は中国唐代に活躍した実在の僧侶です。玄奘三蔵は当時の中国に未だ伝来していなかった経典を求めて、27歳の時インドへ求法の旅に出ます。インドで修学の末、経論や舎利、仏像を携えて17年に及ぶ旅を終え帰国されました。帰国後、最もよく知られる「般若心経」も玄奘三蔵の翻訳によるものです。玄奘三蔵の教えは弟子である慈恩大師により、「法相宗」として大成し、飛鳥時代の道昭僧都などにより日本に伝来しました。現在、法相宗の大本山は薬師寺と興福寺ですが、今も玄奘三蔵は法相宗の始祖として仰がれています。特に薬師寺では玄奘三蔵の遺徳を後世に伝えるべく、1991年(平成3年)に玄奘三蔵院伽藍を建立しました。





