12時20分新大阪発鹿児島中央駅行き「さくら555号」乗車
新幹線「さくら」・・・山陽・九州新幹線(新大阪~鹿児島中央)で運行される、速達性・快適性の高い列車です。最速の「みずほ」に次ぐ速さで、指定席は2+2列でゆったりしており、和風のインテリアが特徴。料金は「のぞみ」などより安く、コストパフォーマンスに優れています。
13時27分福山駅到着
福山城
新幹線のホームから間近に見える全国的にも珍しい城です。徳川家康のいとこである水野勝成が、1619年(元和5年)鞆の浦より海路にて、城郭及び城下町の候補地を選定すべく領内を巡視し、最終的には現在の福山城が鎮座する常興寺山を築城の場として定めました。ここは城背の北側を山陽道が通り、また南面は内海を臨み、外港の鞆の浦など、海陸共に交通の要衝地であったことがその理由として考えられています。1620年(元和6年)よりいよいよ始められた築城であるが、縄張(なわばり)の設計は普請場麓(ふしんばふもと)に屋敷を構えた上で水野勝成自身が行ったと言われ、大量の石垣は当時水野家領であった瀬戸内北木島や白石島から運んでいる。一国一城令が発布されている時世において本格的な築城が許されたことは異例の事態であり、西国鎮衛の観点から見た福山城の重要性と、さらに勝成に対する並々ならない期待が窺える。完成は1622年(元和8年)。備後10万石の領主として入封、築城し、当時、石高に比べて破格の規模を誇った城。廃藩置県まで藩政の中心でした。

鏡櫓(文書館)<手前>・月見櫓<奥>
鏡櫓・・・福山藩に関する古文書の収集・展示する文書館。本丸東側に位置する2階建ての櫓。東南隅の月見櫓から北へ延びる塀でつながれ、南北6間東西4間の広さをもっていた。明治時代に取り壊されたが、1973年(昭和48年)外観復元。現在は文書館として、福山藩に関する古文書の収集・展示を行っている。月見櫓・・・6間5間、本丸南東隅、武家屋敷の広がる南側や、町人屋敷の広がる南西入江方面も展望できる位置に築かれた2層2階の櫓。本来は参勤交代などの際、藩主の到着を見極める”着見櫓”のことであるとも言われており、事実岡山城や高松城にも同名の櫓が存在する。さらに伏見櫓等と同じく京都伏見城からの移築と伝わる。
